自己犠牲は美徳?
自己犠牲とは、何らかの目的、他者のために、自分の時間、労力、身体、生命を捧げることです。
高校生の頃まだキリスト者になる前ですが、三浦綾子著の「塩狩峠」を読んで声を上げるほどに号泣ししばらく何もできなかった記憶が残っています。
自己犠牲の究極的な象徴はイエス・キリストですが、生命を捧げるほどの自己犠牲でなくとも、日々の生活の中で自分を犠牲に他者のために尽くしている人がほとんどだと思います。
専業主婦やパートの女性は夫や子供のため、両親のために一日のうちの多くの時間を費やしていることと思います。ホッとしてコーヒーを飲む時間さえない方とすることもあります。
〝自分へのご褒美〟として、たまに美味しいものを食べに行ったり、自分に何かプレゼントしたり、気分転換したり、自分を労うことで満たそうとする方もあるでしょう。
そういったことが悪いわけではありませんが、一時的なことに過ぎないのも事実です。自分を犠牲にし続けるとそのうち限界が来て反動が表れます。
「他者のために尽くす」行為そのものは素晴らしいことです。
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でもどのような思いからその行為をしているでしょうか?
いろいろな場面が考えられますが、例えば会社や組織で何でも出来て能力があるからというのがあります。
優しい性格から放っておけないというのもあるでしょう。
多くは義務感、責任感からという場合で、日本人は特に強い傾向にあるように感じます。
子育て、介護は特に自分一人で抱え込んでしまいがちです。
きちんとこなさないと、ダメな人、無責任な人、いい加減な人、非常識な人、いろいろな負のレッテルが貼られてしまいます。
他者からそう見られたくないからつい自己を犠牲にしてしまうことも多いでしょう。
善い行いをしているはずがマイナスに作用する?
私もある時まではずっと自己犠牲的に行動していました。
勤めている時はつい最後まで居残り先に帰れない、主婦となっては夫、子供、義父母のために半分当たり前と自分に言い聞かせ、また在籍する教会では奉仕として様々なことを行ってきました。
行っていることが楽しかったり、嬉しかったり、喜びである場合はその行為が活きてきます。
しかし義務感、責任感に縛られ、我慢しだすとその行為は活きてこないどころか、マイナスの波動が周囲に伝わります。
初めは喜びであったのに、状況の変化から苦しくなることもあります。
それでも続けてしまうのは、「自分を許せない」「承認の欲求」「良心の呵責」「罪悪感」などのマイナス感情が隠れていたりするからです。自分を内観していくと気づくこともあります。
このようなマイナス感情は潜在意識に刻まれた心の癖ですから、目の前の現実に事あるごとに登場してきます。
一見違うことのように思えますが、同じパターンが形を変えてやって来ます。
我慢が続くと「怒り」「恨み」「苛立ち」が出てきてしまいます。こうなると大変です!
では、どのようにしたらよい波動が伝わるのでしょう?
答えはシンプルです。
「自分がやりたい、役に立ちたいと思えばやればいい」のです。自分の心に聴くことです。
楽しいことならもちろん簡単にできますが、やらなくてはならないことでも選択権は自分にあります。嫌なら誰かにお願いすることもできます。放棄することもできます。
責任感から行う場合でも、やることが自分の喜びになるのならその行為は活きてきます。
義務感から行う場合でもその中に楽しみを見い出せればそれも活きてきます。
どのような場合でも選択権は自分にあり、自分の心が決定すると意識することで物事が変化してくるでしょう。
自分を客観的に内観すると心が整ってきますが、波動水で95%サポートしてもらうと楽にできます。
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